短歌と妄想とよもやま日記

読書とよもやま話の日記、たまに短歌鑑賞します。

昨日日和って書けなかったこと

昨日の投稿で、ほんとは、言語化の限界について書きたかったのです。


だけど、日和ってしまって書けませんでした。一般には、自己実現のため、自分の思いは言語化するよう推奨されてますもんね。


私はときどき下記のようなことがあるんです。


思ったことをそのまま、書き出してみたとしますよね。


するとその内容のあまりの貧しさに驚くんですよ!


例えば、夢を書き出しますよね。すると、なんかわからんけど、夢がとたんにつまらなく見えてくるんですよ。


で、それは言語化の中にウソが入っているからなんだろうと思って、自分がカッコつけて入れたウソの夢(例えば南の島に行くとか)を削除して整理します。


そしたらねぇ、ほんとに残った夢って、こんな本読みたい、あんな漫画読みたい。以上。あとはせいぜい綺麗な夕焼け見たい。って感じなんですね。まったく驚くよ。


なんてつまらないんだろう。こんな夢しか思いつかない人生なんて。


と思う反面、あれ、でも、そこまでつまらなくないだろ自分の人生。なんかおかしいな。とも思う。


これは、人生の夢=アイデンティティと考えると、昨日の話とピタリと合致するんですよね。


自分の人生や夢を人に説明するのには、言語化は必要です。でも、文章からはみ出ている部分が、常にあるってことを忘れちゃいけないと思う。ほとんどはイメージのままなんですよね。


それは単に言語化がまだ足りてないからだ、という判断も成り立ちます。


でも、あまりにも深い部分はそうそう言語化できないのではないかと思います。自分の中の深いことを言語化できるのって、人生で1,2回なんじゃないかと思う。

 

なんか、河合隼雄の本を読むと、ある人が思いを発言するのに年単位かかる話がよく出てくる。そっちの方が腑に落ちるんですよね。


このことはまたいつか考えようー。