短歌と妄想

短歌鑑賞ブログです!と言いつつほぼ読書日記です。

短歌と妄想

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ただずっと見てくれる人①

前に、元気がないときは、油断すると考え事をしてしまうと書いたのですが、その後少し元気になり、油断すると眠ってしまう生活に戻りつつあります。

 

先日は、親が大音量でテレビを観ているなか、居間で寝落ちしてしまい、しかも2時間も寝てしまって我ながら呆れました…。親も音量を全く下げてなかったな〜〜私寝てるのに(笑)

 

その時テレビがウナギの養殖の話をしていたんですね。そしたら、夢の中にちいちゃいウナギが大量に出てきて、気持ち悪かったなあ。

 

なんの話だ?

 

全く話は変わるのですが、20年くらい前、作家の森博嗣が、エッセイで「誰かに自分の全部をただずーっと見ていてほしいと思う。そういう人がたった一人いてくれれば、それでいい。」というようなことを書いていました。

 

(どのエッセイか失念してしまい正確に引用できなくてごめんなさい。)

 

当時は、たった一人に愛される、ではなくて、たった一人に見ていてもらうだけでいいの?と、よくわからなかったのです。

 

でも、この頃、なんだかわかるような気がしています。

 

年をとると、人は広がる。空間的に、あちこちにいろんな繋がりができる。この趣味についてはこの人たち。仕事についてはこっち、というふうに。

 

だけど自分の趣味とか仕事とか悩みとかの全てを知ってる人はいない。

 

たとえば、ある時期はこの人と仲よかったけど、何年か後にはいつの間にか会わなくなっていたりする。その人は、時間的にも、自分のある一時期についてしか知らないわけですね。

 

親だってそうですよね。自分の全部を知ってもらってるわけではない。というか知らせたくないことだってある(笑)

 

そう考えると、自分の人生をただずーっと見てくれる人って、実はたった一人であってもいない。そんな人いるわけない。森博嗣は不可能なことを言っていたんだと、そんな不可能なことが起こったらそれだけで幸せだと、そう言っていたのかなと思うのです。

 

(なのですが、実は私は比較的それ、つまりただ見てくれる人に近い人が一人います。妹。なんか、洗いざらい喋ってしまうのですね彼女には。今は妹が独立したので、距離的に離れていますけれども。

 

何かあると、ちょ〜些細なことでもこれは妹に報告しなくてはみたいなことを思う。それで聞いてもらう。ふ〜んとか言って、反応が薄いですが、聞いてもらって満足です。

 

これは実はとても幸せなことなんだなと思いました。)

 

この話続く。