短歌と妄想

短歌鑑賞ブログです!と言いつつほぼ読書日記です。

短歌と妄想

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短歌でなら言える

普段は口に出さないけど、短歌でなら言えることがあります。何だと思います?

それはね、
1.短歌なら気づきを言える
2.短歌ならひどいことも言える
3.短歌ならかっこいいことも言える
です。順番にみていきましょう。

 

1.短歌なら気づきを言える
例えばこんな歌があります。

齢とれば顔は小さくなるとうに父母はそのまま同じであった
西村昇二
(『ぼくの短歌ノート』 穂村弘著 51ページ)

年取ったら顔小さくなるって聞くけどウチの両親は変わらなかったなー、という歌。歌人穂村弘は「あまりにも面白い」「亡くなった両親の思い出なら色々あるだろうによりによってこれか、というインパクト」「天然的な傑作」と鑑賞しています。

「あ。」という気づき。でも「うちの親、年取ってからも顔の大きさ同じだったよねー」と友達に話して話が弾むかというと、わからない。ならば、気づきを五七五七七という表現にして、読んだ人の記憶に残すのも、一つの手ですよ。

 

2.短歌ならひどいことを言える
例えばこんな歌があります。

一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った 非常階段
東直子
(『現代秀歌』永田和宏著 24ページ)

歌人永田和宏は「あまりにも瞬間的に、あるいは衝撃的に『好き』という感情に気づいたがために、(略)『死んじまえ!』と叫びそうになった。」「作者にも説明のつかない相反する感情の奔出」と鑑賞しています。

実際に口にはしないけれど、一瞬「死ね」と思うことって、生きていればありますよね。
なんとかみんな、周りに迷惑かけないように、口にしないでやりすごしているわけです。

だけど、原始的な感情は、人間に本来備わったものです。なかったことにしないで、五七五七七で健全に表現してみるのも、一つの手ですよ。

 

3.短歌ならかっこいいことも言える
例えば、こんな歌があります。

バックシートに眠ってていい 市街路を海賊船のように走るさ
加藤治郎『サニー・サイド・アップ』
(『新・百人一首近現代短歌ベスト100』 文春新書 207ページより)

かっこよすぎる!こんなこと口では言えません恥ずかしくて。でも、短歌にすれば、大丈夫!!

 

そんなわけでして、ほかにも、「短歌ならエロいことも言える」「短歌ならくるったことも言える」とかあるんですけど、夜も遅いのでこの辺で…。

 

ここで「これって『詠む』人なら言えるってことでしょ。私詠まないから関係ないわ」と思ったあなた。あなたにお伝えしたいことがあります。

実は、「短歌を読むことは、短歌を詠むことに近い」のです。なぜなら、31文字の短歌を目にしたとき、そこには必ず「あなただけの解釈・鑑賞」が生まれるからです。

ある歌を「好きだ」「この感情・風景は自分のものだ」と思うとき、そう人に伝えるとき、あなたは表現していると言えるでしょう。

つまり、短歌の鑑賞をするとき、あなたは歌により引っ張り出された自分の記憶、気持ち、感覚、風景を認識し言語化するわけです。そして、その鑑賞を人に伝えたとき、もしかしたら、言えなかったことを言えているのではないか。

 

だから、私は、短歌を読むことを勧めます!!!

 

 

ぼくの短歌ノート

ぼくの短歌ノート

 

 

現代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

 

 

新・百人一首―近現代短歌ベスト100 (文春新書)
 

 

[追記]
半年前、SNSに書いた文章です。一部加筆修正して載せてみました。