短歌と妄想

短歌鑑賞ブログです!と言いつつほぼ読書日記です。

短歌と妄想

短歌鑑賞ブログです!ときどき読書日記です。

決まってる。温存だ。

入江亜季さんは『群青学舎』を読んですぐ好きになった漫画家さんだ。


でも、二つ目の長編『乱と灰色の世界』はまだ読んでいない。


なぜかというと温存だ。これ、前に友達のブログにコメントで書いたのだけれど…。


あまりにも誰かの漫画を(小説でも)好きになると、コンプリートごころにストッパーがかかるのです。


学生の頃は、コンプリートしてた。ブックオフ駆けずり回ってコンプリートしてた。


でも、いつからか、全作品をコンプリートしたあとの、虚脱感が嫌になってしまった。長い時間待たないと新しい話が読めないし、その作者が死んじゃったらもう二度と新しい話は読めないじゃないですか。それが嫌なんです。


それで、一つか二つ、作品を温存しておくようになった。ちょ〜〜落ち込むような人生の危機のためにとっておいてあるんですね。


萩尾望都作品も、ほぼ読んだけど、バレエ漫画を二つ、読まないで温存しています。


ここまで書いて思ったけど、自分が突然死んじゃったらどうするんだ。温存しといた作品が読めないぞ!!

もう漫画読むだけでいい

すんごく落ち込んだときどうするかというと、漫画を読む。うまくすると浮上できるからだ。


今回はこの漫画を読んでとっても良かった。(2巻まで出てます、まだ続きます。)


『北北西に曇と往け』入江亜季

北北西に曇と往け 1巻 (ハルタコミックス)

北北西に曇と往け 1巻 (ハルタコミックス)

 

 



ストーリーはすごくゆっくり進む。雰囲気とキャラクターと細部の書き込みを楽しむ漫画だと思う。あー、なんて、美しいんだ!!


アイスランドが舞台で、若い探偵が主人公。第2巻は、主人公たちとともにほぼアイスランド観光地めぐり。でもとっても没入できます。


読み終わってひじょーに満足して、意外といい一日だったな?と勘違いする。


いや勘違いじゃないよ。いい日だったよ。


私の脳内では入江さん製のアイスランドに行っていたんだ。私は体験したんだ。


誰かの漫画を読むためだけに生きていても、いいんだ。

分人

平野啓一郎の分人主義の本を読みました。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)



平野さんが、高校時代の友達と、大学時代の友達、両方と一緒に飲みに行った時の、居心地の悪さから着想された本のようです。


ある人の人格は、ほかの人とのコミュニケーションにおいて生じる。ある人との間で生じる性格を、分人と定義する。多様な人と接する人は、沢山の分人を持っている、というのがキモの考え方です。


学校でのしっかりものの分人。
ネットでのはっちゃけた分人。
家族の前での甘えっ子な分人。


八方美人は、分人が多すぎるのではなくて、一つの分人をいろんな人に使いまわすから嫌われるのだ、という指摘が面白い。


特定の人と親しくなると、その人との間に新たな分人が形成される。でも、片思いだと、自分はその人用の分人を形成しているけど、相手はほかのクラスメイトと同じ、浅い分人で接してくるかもしれない…。


ある環境で、萎縮した自分(分人)でしかいられないのなら、その分人がメインだと考えなくてもいい。別のコミュ二ティで生き生きしている分人を、大切にすることで、自分を傷つけるような考え方から逃れられるかもしれない。


誰かが亡くなった時。周りの人は、その人を失っただけでなく、その人との間で生じていた分人をも失うことになる。その影響は計り知れない。


という感じでいろんな現象を、分人という観点で整理し直すと、おお!という発見があります。

 

「スラック」の概念を知った時と同じくらい、へえ〜〜!と思いました。
 

涙と眼鏡

眼鏡を拭こうとしたら、ポツポツ白っぽい水滴の跡がたくさんついている。


あれー。今日は泣いてないのになんで?寝ながら泣いたのか。


と思ったけどよく考えたら、今日は夕方横なぐりの雨だったので、ふつうに雨の跡でした。


鷺沢萠の短編集に、主人公が泣きながら、「涙は吹き出すのである」と考えるシーンがあるんですよ。


下に静かに落ちるなら眼鏡は汚れない。そうではなくて、泣くと、レンズにポツポツ水滴がつく。すなわち、涙は目から前方へ吹き出すのである、という話でした。20代の頃読んで、確かに〜〜と思ったものです。


その後私も、泣いた後毎回、眼鏡を洗いながら「吹き出すのである」と思うようになってしまった。


この短編集だったかな?

『海の鳥・空の魚』

海の鳥・空の魚 (角川文庫)

海の鳥・空の魚 (角川文庫)

 


 

先日、母が小さい頃の話をしていて、突然、「あんた昔よく転んで膝擦りむいてたでしょう。傷跡残ってるんじゃないの?見せなさい」。


父も「そうだったな見せてみろ」。


見せたさ。親の前で、30年ぶりくらいにこ汚い膝見せた。


でも大きな傷はなかった、小さな傷だけで。


母は「たいした傷残ってなくてよかった」と安堵していた。


親って、中年になった子の膝の見た目まで心配するんだな!笑ってしまった。ずっとズボンだし、傷があろうがなかろうが問題ないんだけどね。
 

おまんじゅうの体につぶらな瞳

ターシャ・テューダーの文庫本を買いました。


『生きていることを楽しんで』ターシャ・テューダー著

生きていることを楽しんで ターシャの言葉 (中経の文庫)

生きていることを楽しんで ターシャの言葉 (中経の文庫)

 


ターシャさんは絵本作家、農場主、園芸家。本は、右側にターシャさんの名言、左側にターシャさんの庭や持ち物の写真、という構成。


ところで、話はまったくかわります。


30年くらい前に、夕刊の第1面に、動物のルポが載ってて、異常に可愛い犬の写真が添えられていたのです。


ホームレスの人が飼っている犬、ハナコ。飼い主は「俺が食べて、ハナコにやらないなんて考えられない」と言い、手に入れた食べ物はハナコと自分で、必ず半分こして食べている、とありました。


結果、ハナコはとても太ってしまったのですね。歩くのもうまくできなくなったので、散歩は、飼い主が抱っこして歩いているとのことでした。


写真には飼い主の腕とハナコが写っていて、ハナコは、おまんじゅうみたいな体に、キラキラの愛らしいつぶらな瞳をしていました。人間を心底信じ切って見上げてる瞳でした。


この写真は相当インパクトがあって、その場で母に見せたら、可愛い!とメロメロに。


数年後、妹にこの写真の話をしたら、妹も覚えていました。


さらに数年後、大学で友達にこの話をしたらその人も「その写真見た!」と覚えていました。おそるべしハナコの魅力。


で、前振りが長くなったけども、今日買った文庫本に、ターシャ手づくりの犬のぬいぐるみの写真が載っているんです。


その子が、ハナコに似ていましたね〜。

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米光さんのタロット本

アマゾンから米光一成さんのタロット本をおススメされました。友達のタロットの投稿を見ていたこともあり、ポチしてみました。


『思考ツールとしてのタロット』米光一成著


Kindleでさっと読めます。タロットカードの絵柄の説明も大アルカナ22枚についてのみで、すごくざっくりしてます(タロットは他に小アルカナ56枚があるらしい)。


だけど、読んだらめっちゃタロットに興味が出てきました…タロットの意義を、すごく腹落ちさせてくれる本です。


ある問いを念頭にカードを引いたとします。そのカードの絵柄が象徴すること、そこから連想して、頭に思い浮かんだことが問いの答えになります。


タロットカードの絵柄が持つ様々な意味を、米光さんは「視点」と言ってます。22枚の大アルカナだったら、22の視点があるということになる。


その豊かな視点の中から、裏返しのまま一枚抜き出すという偶然性が、こちらのガードを緩めてくれる。


それによって、頭の中で「ないこと」にしてた考えが引っ張りだされる。タロットカードには、モヤモヤしてて、はっきりしてないことに、シュッと形を与える効果があるんですね。

 

答えは、カードではなく、カードを引いた人間の側にあるんですね。

 

コーチングカードの『Points of You』に、ものすごく似ていると思いました(逆か、POYがタロットに似てるんですね)。


さて、今日さっそく「お盆休み」について、タロットを引いて見たところ、「女教皇」のカードが出ました。


『鏡リュウジの実践タロットリーディング』によれば、「(女教皇の)このカードが出たときは、理屈や損得勘定より、自分の直感や感情を優先させた方がいい。」


ほ〜〜。お盆はタロットの本を読もうと思います。